高校時代の僕にとって、「道成寺」(1976)はバイブルのような映画だった。
NHKで放送されたものを録画して、何度も何度も何度も観た。
それどころか「火宅」(1979)と、宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)と「死の翼アルバトロス」(1980)と「さらば愛しきルパンよ」(1980)と、自分たちが作った実験アニメを抱き合わせ、学校祭で料金300円を徴収する興行まで敢行した(!)。
もう、メチャクチャである。
高校生のころの僕は、1979年こそ「機動戦士ガンダム」と「カリオストロの城」、「赤毛のアン」に費やされたが、その他は寝ても覚めてもSFと人形アニメーションの日々であった。
可哀想なのは(またしても)滝沢聖峰だ。完成しないSF映画や人形アニメのためのメカデザインや模型を山ほど作らされたのであった。(知られていないが、彼は非常に優秀で創造的なモデラーでもある。模型雑誌に執筆しながら作例に手を出さないのは、この時のトラウマだと考えられる。)

1980年には「12人の作家によるアニメーションフィルムの作り方」(主婦と生活社)という名著が出版された。
執筆者は手塚治虫、古川タク、鈴木伸一、福島治、林静一、島村達雄、川本喜八郎、岡本忠成、亀井武彦、中島興、田名網敬一、相原信洋と、超豪華。アートアニメーションを志す人なら必ず持っていなくてはならない名著なのである。
本がバラバラになるまで読んだ。特に、林静一さん、島村達雄さん、川本喜八郎先生、相原信洋先生の章は熱心に読んだ。福島治さんの素晴らしい作画は、今も大学院の授業で使っている。
(卒業生、学生の皆さん、僕が相原信洋先生とチェコに行って感激したり、田名網先生と飲んで興奮する理由が判りましたか!)
レイ・ハリーハウゼンのように、フォームラテックス(人形アニメのパペットの筋肉や、特殊メイクのアプライエンスに使われる一種のスポンジ。泡立てて、石膏型に封入して、オーブンで焼く)製のパペットを作ってみたかったけれど、地方の高校生には夢のまた夢。
ところが件の本では、川本先生がフォームラテックス(フォームラバー)のシートについて紹介されていた。そうなると、もうこれが欲しくてたまらない!しかし、どこに売っているのかわからない!
チャンスが訪れたのは、修学旅行の時。
すでに京都での段階で、僕や滝沢聖峰は早々に歴史見学から抜け出して、噂に聞いたSF喫茶「ソラリス」で感激し、太秦の映画村で「恐竜・怪鳥の伝説」(1977)の恐竜のプロップにガッカリし、「スターログ・ショップ」を目指して梅田まで遠征したもの迷って見つけられず…と、何を修学してるのかわからない状態ではあった。
が、本当のクライマックスは東京でやってきた!
なんと電話帳で川本先生の電話番号を調べ、公衆電話からいきなりかけた(!)のであった。礼儀や世界線を知らないということは、恐ろしい。
自ら受話器を取られ、いきなり材料店について問われた御大は、ややムッとした感じであったが、北海道から出てきた高校生であり、あと数時間のうちに東京を発たねばならないことを説明すると、実にていねいに入手場所を教えて下さった。
人形橋だったか両国だったかの「佐々木ゴム製作所」とかいう会社に飛んでいった。会社というよりは、家内制手工業という感じの問屋か工場(こうば)だった。
そこにいきなり高校生が飛び込んできて、「フォ、フォ、フォ、フォームラバーを売ってください」などと、バルタン星人みたいなことを言うのだから、皆さんあっけにとられたようだった。
クッションや工業用品用のゴムを扱っている会社らしく、フォームラバーも厚さや大きさなどいろいろな規格がある。
やっと5mm厚くらいのいちばん小さなシートを選んで、丸めて、模造紙に包んでもらった。その柔らかさと、嬉しさは一生忘れないと思う。
「どこでうちの会社のことを知ったのですか」と、経理のお婆さんに問われたので、「人形作家の川本喜八郎先生から教えていただいたのです」と誇らしく答えると、納得したようだった。
そういう人が多かったのかもしれない。
思い出せば思い出すほど、恥ずかしい高校生時代だ。
しかし、なにが恥ずかしいといって、結局、アニメーション作家にならなかったことだ。
この、あらゆる無礼を、今は亡き川本喜八郎先生に心からお詫びしたいと思います。
合掌。