Realistic Virtuality: Ryusuke Ito

現実的な仮想性: 伊藤隆介/制作の周辺

Siskel & Ebert(シスケル&エバート)

Snoopy&S&E

掃除をしていたら、2013年の「スヌーピー展」のチケットを発券、じゃなかった発見。
裏面が、マンガのストリップ(一段)になっていてる。映画館のチケット売り場についてのギャグで、内容はおそらくこんな感じ。

(左から)
 サリー「なんでこんな映画を観に来たのかしら。」
 ルーシー「私も同じことを考えてた。」
 フランクリン「テレビに出ている2人もけなしてたし。」
 バイオレット「観なきゃわからないわ。」
 チャーリー・ブラウン「きっと、いいところもあるとは思うんだけど。」
 スヌーピー「犬がヒーローになる結末とかね。」

この「テレビに出ている2人」というのは、アメリカで1970〜1990年代に活躍した映画評論家ジーン・シスケル(Gene Siskel)、ロジャー・エバート(Roger Ebert/イーバートとも)のこと。
2人の名前を冠したテレビ番組「Siskel & Ebert」などで、毎週、新作映画のレビューを行った。辛口な上、2人のテイストは大きく違うので評価が分かれることもあったが、そこが面白く、信憑性もあった。番組内で「おすすめ映画」は親指を立てて「Thumbs up」というジャスチャーで示し、2人とも推薦の映画は「Two Thumbs Up!」として、該当作品にとっては大いに宣伝効果があった。

この番組に勇気つけられるのは、シスケルが「シカゴ・トリビューン」、エバートが「シカゴ・サンタイムス」の映画記者だったということだ。
映画産業の中心は西海岸、それに対する東海岸…というかニューヨークがあるが、何もない(と言っては語弊があるが)中西部において、しかも地方紙の記者2人(ご当地ではライバル紙)が手を組んで、アメリカの(ということは、世界の)映画界に、ペンで影響を与えたというのは愉快だ。
それに比べて、優秀な記者たちの専門性(と、マーケットにおける潜在力)を、「ジェネラリスト」として浪費してしまう日本の地方紙の官僚的文化(たとえば、専門性の高い記者たちをすぐに移動させてしまう)は非常に残念だ。

シスケルは1999年に、エバートは2013年に物故者となっているが、2人の番組の様子と、作品評価は以下で見ることができる。
http://siskelandebert.org/
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おおやちきの世界展!!

台東区の森下文化センターで開かれている、「おおやちきの世界」展を見るために、ほぼ日帰りで上京した。
おおやちき(大矢ちき)は、マンガ家、イラストレーター、パズル作家。1972年から75年まで「りぼん」を中心にマンガ作品を発表、マンガ界の絵画レベルの最高峰に達した唯一無二の才能、…と説明するのも、もどかしい。ともかく、僕が尊敬している、大好きな作家だ。
いや、今回、その画業を拝見して改めて気がついたのだが、自分の美意識の根本的なところに、決定的な影響を与えた作家と言っていい。
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森下文化センターは、新木場の東京都現代美術館の近くある区民活動センターで、付近の出身者である田河水泡についての展示室がある。
展示は年譜を中心としたシンプルな内容だが、「のらくろ」の色指定の前の段階の線画の原稿や、書斎の再現などもあって、キャプションなどを読み込むとたいへん面白い。田河水泡の作品の閲覧以外にも、少女マンガを読めるコーナーもある。(ほかにも伊藤深水らの展示もあることになっているが、それはパネルでの紹介程度。あとは、地域の木材工芸などの実物展示が二部屋あって、なかなか興味深い。)


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センターロビーの空間で「おおやちきの世界」展が開かれている。非常に珍しい貸本時代の作品(ちばてつやのような画風!)から、主要作品の原稿、「りぼん」などの雑誌や付録、キースの「アルジャーノンに花束を」の表紙イラスト、「ぴあ」から続くパズルの原画など、限られたスペースだが盛り沢山だ。作家本人の手書きによるキャプションもあって楽しい。

子ども時代から何十回も読んだ作品の原画を見るのは、感無量以上の体験だった。
その肉筆原稿は、とにかく超細密、超絶技巧、天才的彩色、そして感情とテクスチャーが過剰な世界だった。印刷とは比べ物にならない美しい(解像度的が高い)原稿といえば、宮西計三さんのそれ(多くの線が細すぎて印刷されない!)が思い出されるのだが、大矢ちき作品は印刷されたものも、ポップアートやプッシュピン・スタジオ作品のようにコントラストが巧みで美しい上に、生原稿はさらに美麗なのだった。
なんというか、経年で変色した、ポスターカラーの修正の跡まで細密で(クリムトのテクスチャや日本画の垂らし込みの様に)美しい。

大友克洋の初期の功績が、青年マンガにジャズやグラフィックデザイン、映画などにおける話法や洗練を外部注入したことだとすると、大矢ちきという作家の革新性はそれに勝る。1970年代前半のグラフィックデザイン、美術、ファッション、ヨーロッパ映画、グラムロックなどの先端のトレンドを万華鏡のようにマンガに投入し、少女マンガを「まともな視覚メディア」に変えた。そのころは小学生だった僕も、70年代のパリやロンドンの風俗(その後、デビッド・パットナムとアラン・パーカーのデビュー作「小さな恋のメロディ」のリバイバルで実物と符合する)、おそらく海外事情のルーツであるところの堀内誠一の美学を、大矢ちき作品を通して知ったと言える。つまり、ティーンエイジャーになる直前、その素地(ほとんど視覚的教養と呼んでいい)を与えてくれたのが、大矢ちき作品だったのである。それどころか今回、僕の好きな女性のタイプ、女優さん、アニメキャラまで、その類型はちき先生の描く女性たちにあったんだなとさえ気がついて(自分で)呆れた。

大矢ちき論といえば橋本治氏の「世界を変えた唇」(「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ(前篇)」収録)があるが、それを継承した大矢ちき論・研究の決定版(マンガからイラスト、なぜかパズルへと横断していった、日本の「眼と手」のアルチザン研究)を書きたい…と若いころから思いながら、その宿題の大きさを前に、もう、人生も終わってしまいそうだ。
代表作の「おじゃまさんリュリュ」や名短編「白いカーニバル」などは、台詞もそらで言えるくらいなのだが、今回、ちき先生のペンタッチやホワイト処理の、その息づかいや緊張感が伝わるような原稿を前にして、もういちどネームをひと言ひと言読んでいくことは、1974年ころに心身共にタイムスリップし、先生と対話しているような錯覚に陥った。(音楽の名盤を聞いて、その時代を体験するような感覚。)ただし、もう老眼なので、小学生のときに飛ぶような勢いで読んだ作品を、眼鏡を外してゆっくり読んでいくのがもどかしくも、哀しい。
原画が見られるまで40年近くかかったということは、残りの人生でこんな機会はもうないかもしれない、とも思った。(自分で「おおやちき美術館」でも建立できれば別だが、そんな才覚は無い。)一生に一度の、逢瀬のような幸福な時間だった。


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会場には、なんと記念スタンプコーナーまであった。また、現在はパズル作家であるちき先生のパズル体験もある。絵葉書やグッズも販売されていた。会期も終了近くなので、「リュリュ」クリアファイルなどは品切れで、落涙…。
「肉筆サイン入り」の単行本「回転木馬」は在庫があったので、震える手で求める。もう、何冊目なんだ、これ買うの。

で、開いてみると…

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これ、サインじゃないです!肉筆のご挨拶です!!
やっぱり、ちき先生、過剰です!!!


田河水泡・のらくろ館特別展「おおやちきの世界展」
 会期: 2013年2月14日(木)〜3月3日(日)
 時間: 9:00〜21:00
 会場: 森下文化センター 1F展示ロビー
 料金: 入場無料


(以上、興奮のため乱打乱文気味。)

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中子真治さんの「SFX-Wizards Scrap-book」

中子真治さんの「SFX-Wizards Scrap-book」(月刊スターログ)について、掲載誌を思い出すのが大変なのでリストを作りました。お使いください。

SFX-wizards掲載リスト


↓おおむね、こういう感じの連載です。(サンプルは、人形アニメータ―・ディヴィッド・アレンの記事)興味のある方は、上記リストを参考にバックナンバーを探すと良いでしょう。

SFX-wizards01

また、この連載の内容の多くは、中子さんの名著「SFX映画の世界―SFX cinematic illusion」(講談社/1983)、「SFX映画の時代」(講談社/1984)、「SFX映画の世代」(講談社/1985)に多数掲載されています。(後に、講談社X文庫に「SFX映画の世界 完全版」として収録。)

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マザー・シップ

ワシントンD.C.のダレス空港の横に、スミソニアン航空宇宙博物館の別館がある。そこに調査に行ったところ、スペースシャトルと宇宙船のコーナー(というか、棟)の隅で、思いがけず懐かしい友に再会!

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DSC_4984 のコピー

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「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)」(1977)に登場するマザー・シップの撮影用模型。“ミニチュアの神様”グレゴリー・ジーン作。かつて「スターログ」誌に掲載された中子真治さんの映画ルポルタージュ「SFX-Wizards Scrap-book」は何十回も読んだ。再生紙の、不鮮明な白黒写真も舐めるように眺めたものだ。
すっかり感化されて、「未知との遭遇」や「1941」(1979)に出てくるようなクラッシックな自動販売機やビルボードの模型作りに熱中した。考えてみると、相当ヘンな高校生だが、自分の「美術の見方」の基礎を作ったのは、この連載記事かもしれないと思う。

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昔の名前で出ています

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札幌のフリーペーパー「WG」の発行人で、「札幌ビエンナーレ」プレ企画のスタッフでもあるドゥヴィーニュ仁央さんの猛烈アタック!で、マンガ・オタクアート初心者向けのトークを行うことに。
10月29日(土)から札幌芸術の森美術館で行われる展覧会「札幌ビエンナーレ・プレ企画 2011/表現するファノン−サブカルチャーの表象たち」の関連イベントです。

ビエンナーレ・スクール第2回
『伝統美術との共通点から海外との違い、アートへの発展など一挙に解説!
 日本マンガ・カルチャー入門』

 開催日:2011年10月20日(木)18:00〜19:30
 会 場:紀伊國屋書店札幌本店1Fインナーガーデン
     (札幌市中央区北5西5 sapporo55ビル)
 講 師:村雨ケンジ(マンガ評論家)
 料 金:入場無料
 主 催:札幌ビエンナーレ・プレ企画実行委員会 企画事務局
 お問い合わせ:fwit6066@mb.infoweb.ne.jp (担当:ドゥヴィーニュ)
 詳細は札幌ビエンナーレ・プレ企画のサイトで!

ただし、「入門」なのでマニアックな話にはなりません。昔の名前で、「鳥獣戯画」とか手塚治虫とかフランク・ミラーとか、昔の話をすることになると思います。

※クリックすると拡大画像が見られます。
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日芸のお宝(2)

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林芙美子の展示会場でもらった、日大藝術学部図書館の印刷物「日藝・図書館案内 2011夏号」より。

なんと日野先生が教えていらっしゃる!
しかも、かなりダンディな方!
「現存」っていうのも、なんだかよく解らないけどスゴい。

※追記:「現存」とは書いてませんね。「実存」の間違いでした

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日芸のお宝(1)

日本映像学会の委員会と理事会で、江古田の日大芸術学部へ、限りなく日帰りに近い出張。
ギャラリーには林芙美子の展示(編集者へのクレームの手紙が粘着質でスゴい!)、キャンパス内のあちこちでは学生がビデオ撮影などしていて、さすが芸術大学の雄という雰囲気。
映画学科の小会議室で、お宝発見!
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おっ、スカイ1!
ITCのテレビ番組「謎の円盤UFO」の、「当時もの」のステッカーが貼った時からそのままになっていた。

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この10月3日というのは、1970年のこと。
ベータマックス(昔の家庭用ビデオテープの規格)の資料が多いのもいい。
さすが日芸!
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映画「SUPER 8」(3)

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「SUPER8」で感心したのは、容易なハッピーエンドで終わらないところだ。
事件は解決し、反目し合っていた親子や人々も和解しするのだが、ハッピーエンドと彼等の未来を予感させる要素が、必ずしも幸福には一致しない、アイロニカルな構成になっている。

舞台は1979年だから、カーター政権下のアメリカだ。
くたびれたとはいえ、リベラリズムが残っていた時代だろう。少なくとも、21世紀に「リベラル」が政治的な攻撃材料になるなどとは、想像もしていない時代だ。
この映画で最も印象的な登場人物というのは、トラブルメーカーである、美少女の父親(写真右端のドアーズみたいな髪型の、ロックファンとおぼしき人物)だ。狭い町の中での少年時代からアウトサイダーで、アル中で、妻は逃げ、娘を怒鳴るこの父親は、町の庶民派エスタブリッシュメントである主人公の父親(写真左端)とは対照的に、若者の時の価値を引きずって生きている。やけのやんぱちになっているこのオヤジというのは、60年代からの自由主義の末期的な状況(ジタバタ)を象徴している。(マリファナ中毒のカメラ屋の青年は、形骸化した60年代を象徴している。)
ベトナム戦争後の、アメリカの(良くも悪くもの)楽天主義と理想主義が破綻した閉塞感は、アメリカ映画ではパニック映画ブームを経て、ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」(1977)や、劇中映画でも名前が引用されるジョージ・A・ロメロの「ゾンビ(Dawn of the Dead)」(1978)といった、アナーキーなカルト映画に収斂されていく。混乱する親たち(の世代)を尊敬できない少年たちが、ゾンビ映画制作に傾倒していくというのは、時代の不穏さへの嗅覚であり、極めて正しい。

この映画の翌年(1980年)の大統領選ではレーガンが勝利し、(パパ)ブッシュへ続く12年の共和党政権が始まる。ジョン・レノンは撃たれ、翌年にはMTV(ケーブルテレビ)も開局して、ロックの世界も「反抗」から「コマーシャル」に大きく様変わりしてゆく。(おそらく、件のロックオヤジの命綱は、グレートフル・デッドと潜伏していくだろう。)やがてレーガノミックスのバブル経済が始まり、今日のグローバリゼーションの下地が作られていく。
「SUPER8」の登場人物たち(大人も含め)は「家族の価値」を再認識して映画は終わるのだが、「家族の価値(ファミリーバリュー)の復権」とは、まさに共和党政権(というかキリスト教原理主義者)のスローガンであり、アメリカの保守化への価値観の柱の一つでもあった。
また、空軍に対してヒーローとして活躍する、主人公の父親の職業が、ジャーナリストなどではなく警察官というのも暗示的だ。正確には、劇中で父親(と警察官たち)は隠密的に、ほとんど自警団的に行動するのだが、ガーディアン・エンジェルス(1979年結成!)から現在のティー・パーティー運動まで、その後の、国(民主党的なもの)に頼らない草の根の保守派の心象の、絵解きがこの父親の行動なのである。つまり価値観については、保守の父親と、ゾンビ映画に憧れる息子(主人公)は、和解などしていないのである。
とはいえ、「SUPER8」がじんわり描いているものは、アメリカの保守化前の風景、追憶なのである。

今回の事件を経た後、おそらく、工場に支えられたこの町は衰退をたどることになる。
海外(日本企業ですな)との競争の中で、企業はアジアへ生産の拠点を移し、他の地域と同じように工場は閉鎖されるだろう。アメリカのものづくりは空洞化し、1986年にはメイド・イン・USAのスペースシャトルは事故を起こす。
だから、本作の続編が作られるとしたら、マイケル・ムーアの「ロジャー&ミー」(1989)やオリバー・ストーンの「ウォール街」(1987)、可能性が低い再生例としてロン・ハワードの「ガン・ホー」(1986)と酷似したものになると思う。
この映画が日本人の琴線に触れるとしたら、それは現在の日本の有り様と、アメリカの「その時代」にオーバーラップするところが多いからだろう。

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映画「SUPER 8」(2)

「SUPER 8」には、ほかにも面白いディティールは結構あって、そもそもの8mm映画関連の部分もそれなりにリアル。

主人公たちはホラー映画を作っているのだが、最初は金持ち一家のカメラを使っている。だから、カメラは輸入品のオイミッヒ製(おそらくEumig Makro Sound 65か66 XL)。これはマクロ(接写)撮影もできるし、1コマ撮り(アニメ)もできるカメラ。

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とはいえ、これらのカメラはもともとベル&ハウエル製のカメラが原型。
ベル&ハウエルの本部(シカゴの郊外)と同じ中西部の、オハイオの田舎町でオイミッヒのカメラを購入する必然性があるのか、不自然と言えば不自然ではある。
(ありえない、ということではありません。僕もオイミッヒの中古の映写機をシカゴで買ったことはありますが、状況としてはレアです。)

それが壊れてからは、主人公の父親(警察官)が持っているコダック(シアーズ?)の廉価カメラ。

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おそらく、コダックのKodak Ektasound 140だけど、リフレックス(一眼レフ)ですらないし、これはモチベーションが下がることこの上ない。
それぞれのカメラ(というか、当時のフィルムの感度)で、劇中映画のような映像が撮れるか…というのはまた別の問題(映画にあるような、駅の電灯の下での撮影は無理)だけど、Ektasound 140ではマクロ撮影ができないから、ミニチュア撮影の列車事故がピンボケだったというのはそれなりに納得しました。

検索してみたら、8ミリ映画の啓蒙で有名なブログ「オオノ隊員のブログ」に、「SUPER 8」の大特集が!
痒いところに手が届く、ていねいな検証。すばらしい!!

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映画「SUPER 8」(1)

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結構前になりますが、映画「SUPER 8/スーパーエイト」(J.J.エイブラムス)を観ました。
基本的にはPG13のジュブナイル映画(中学生向け)であって、大人が観てどーこー言う内容ではありません。
洋画配給会社はセコいので、こういったジュブナイル映画も、まるで一般映画のように偽装して公開します。「プリティ・プリンセス」(2001)など、かつてのアン・ハサウェイ主演のディズニー映画などは、基本的に子供向け。女子高生を主人公にしているということは、観客は小学生か、幼稚な中学生であって、予告編にだまされてこれを観に行く日本の(大学生とか大人の)カップルはいい面の皮です。
ちなみに、ディズニーブランドの大人向けの作品は、タッチストーン、ミラマックス、ハリウッド・ピクチャーズのレーベルで製作されています。「パイレーツ・オブ・カリビアン」はディズニー本社の製作なので、大人の僕は観に行きません。

で、「SUPER 8」。
ジュブナイル映画ですが、8ミリ映画がタイトルだから僕は観に行きました。
子供向けとはいえ、引率の大人(親たち)がダレちゃうと次回は引率してくれなくなるので、「101」(1996)だったか「102」(2000)のように、映画の中盤あたりにはお色気(シャワー)シーンなども入っているものです。「水戸黄門」と同じですね。
で、今回の「エサ」は親の世代のノスタルジーであります。

そういうわけで、見事に映画少年の妄想映画になってました。
8ミリ映画少年が不幸な美少女にモテる…って、「あるワケない」映画になっているのは、ジュゼッペ・トルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)や、大林宣彦監督の「さびしんぼう」(1985)と同じです。
いちばん「ありえない」と笑っちゃったのは、模型づくりと特殊メイクマニアの主人公を、美少女が尊敬するという流れ。「こんなスゴいこと、どこで習ったの?」とすっかり尊敬の眼差しの女の子に、「ディック・スミスの特殊メイクの本」と真面目に答えるのがもっと変。島本和彦先生の「アオイホノオ」で、主人公の焔燃(ホノオ モユル)がトンコ先輩にアニメを熱く語るのと同じ。
ちなみにディック・スミスの本は、これ。

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SF界の伝説・フォーレスト・J・アッカーマンの「フェイマス・.モンスターズ・オブ・フィルムランド」の別冊で、現在の映画人(の子どものころ)に大きな影響を与えた本。現在も書籍で改訂版が出ています。
「SUPER 8」で、ゾンビの役をやってる子どもの眼にピンポン球が付いているというのは、この本からの影響(という設定)なわけです。こういうところは、細かい設定の映画です。

そのほかにも、主人公が親に隠れてプラモデルを作ってたり、思い当たることが多くて面白かったです。上段写真で鋭意塗装中のプラモデルは、オーロラの「ノートルダムのせむし男」です。

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アメリカのオタクっぽいブログを読むと、これは発売時(1960年代の前半)の子どもたちには「トラウマ模型」だったみたいですね。「せむし男」と「ノートルダム」のどちらの語感もコワかった…なんて書いている人もいます。
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41年前の割引券

掃除していたら、こんなモノが出てきた。

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おもて

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うら

小学校に上がる年の春休みに、お隣の仕立て屋さんのおばさんに「東映まんがまつり」の「長靴をはいた猫」(1969)に連れて行ってもらった。そのとき、映画館でもらったのか。それとも、小学校で配布していたのか。
「長靴をはいた猫」では、魔王ルシファ の城でのアクションにいたく興奮したのだった。その「アイデア構成・原画」は宮崎駿で、「ギャグ監修」が中原弓彦(小林信彦)ということになっている。僕の人生のトーンが、この辺でほとんど決定しているのは、なんとも…。

4ヶ月後の「空飛ぶゆうれい船」(1969)も見たかったが、父親が連れて行ってくれたのはもっぱら「空軍大戦略」(1969)とか戦争映画ばかり。結局、小学校の巡回上映で見られたのだが、ゴーレム(宮崎駿が描いた巨大ロボット)のシーンがやたら怖かった。
浪人生の時に、沼袋(中野)のお寺の「夏休みこども映画会」に滝沢聖峰と出かけていって、再見したが面白かった。同時上映は、なぜかイジー・トルンカの「真夏の夜の夢」(1959)だった。


※クリックすると画像はかなり拡大されますが、プリントしてもシネコンでは使えません。
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SPACE BATTLESHIP ヤマト

数日前、2010年からの負債「SPACE BATTLESHIP ヤマト」を(とうとう)見てきた。

が、この映画については、つべこべいう言葉をあまり持たない。
山崎貴監督はワタクシたちご同輩のノスタルジー(という針のむしろ)は無視できるわけがないが、フツーの、今どきの若者がデートで楽しめなかったら、それはそれでヒット作にはならないことも、当然解っている。
そういう視点での映画制作は、金子修介監督・樋口真嗣特技監督の「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」(1999)の興行的惨敗で証明済みだし、ヒットした「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」(2007/2009)もメディア等で語る(語りたい)のがいい歳したオッサンたちだけで、動員の中心は若者だろう。
だから、この映画は始めから、いわゆる「宇宙戦艦ヤマト」(1976)にならない。当り前だ。

そういうわけで、実写版「ヤマト」は、当然、「普通のB級スペースオペラ映画」とか、ややバランスの悪い「SFラブロマンス」になっていた。(バランスを良くするためには、「ヤマト」の要素をすべて外した方がよい。)
「スタートレックIII/ミスター・スポックを探せ!」(1984)とか「キャスパー」(1995)が駄作というのならば、この映画も駄作ということになるだろうが、フツーのお客さんにとっては、プロやマニアが力みまくった「さよならジュピター」(1984)とか「トゥルーライズ」(1994)よりは、楽しめる映画なんじゃないですか。(ダメ映画好きの僕は、後者でいいです。)
常識的に考えれば、主人公がキムタクなんだから、これはもう超豪華コスプレバラエティー番組といして楽しむ以外はもう野暮だ。(おわり)


…というのも無責任なので、もう少し続けます。

まぁ、前半は感動する瞬間も数カ所ありました。
ただ、それは、目の前に展開するCGの映像から、脳内ヤマトデータバンクの「オリジナル版」(アニメ版)へのリンクして、元のシーンを思い出して追感動するという、とにもかくにも忙しいものであった。
たとえば、冒頭のナレーションはささきいさおによるのだが、「ちょっとテンポが早すぎるな〜。木村幌さんだったらこんな感じね…」と想像して、それを今観ている映像に脳内合成して「おお〜」と感動する…とかそんな感じ。まぁ、感情移入力を試されるというか、依憑(よりわら)やカラオケみたいな映画と言えるだろう。
こっちもいい歳だから、そういうソフトランディング的な「操作」に途中で疲れてきて、小マゼラン雲に着くころには、ボーッとして「よきにはからえ」てな感じになっちゃったけど。

ただ、この実写版を見ることによって、そもそもの「ヤマト」を、新たに理解した点というのはある。「絵空事」のアニメが実体を持った時に、様々なリアリティが立ち上がったり、ほころびたりする。

軍人らしい人が一人もでてこない!
それは、もともとの「ヤマト」が少年兵たちの物語だったということだ。
と言っても、18歳であるはずの古代進がキムタク(38)だったり、島大介もオッサン(43)だったりで、ミスキャストだったとか難癖をつけたいわけではない。
大熱演する中年のメインキャスト(って、緒形直人と柳葉敏郎と西田敏行だけだが)をよそに、周りの兵隊たちがフラフラしたモデルみたいな若い連中(ほとんど学園もののノリ)ばかりだったのが「リアルだ」と言いたいのだった。つまり、意図的にか結果的にか山崎貴監督が描い(ちゃっ)たのは、職業軍人たちが死に絶えた、「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(2004)ばりに、「まともにやってらんないよ」という世界だったし、そもそも原作はそうだった。(脚注)

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いや、当然、バーホーベンの「スターシップ・トゥルーパーズ」(1997)とか、ジェームズ・キャメロンの諸作品が描くように、性別の無い未来世界の軍隊というのが正しいと思うよ。

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そういう風に撮れないものか?と思ってもみたが、それはそもそも「ヤマト」じゃないもんね。
だって、「宇宙戦艦ヤマト」というのは、こういうアニメだし。

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というか、なにより、そういう現場は日本にないもん!
ルックスばかりで使えなさそうな若い奴等に囲まれてキレながら、美しい過去の体験(バブル時代)を後生大事にしている中年のダメ主人公。ツンデレの年下OLと、「お前だけは解ってくれるよな、経営側の方の辛さ。俺はもう死んじゃうからどーでもいいけど」という年寄りの上司。
なんだ。ちゃんと、山崎監督は現状認識を描いてるじゃないか!

まぁ、続編も作ればいいんじゃないですか。金子修介版とか、樋口真嗣版とか。辻褄が合わなくてもいいから。
というか、「ヤマト」というのはそもそも辻褄が合ったことはないものなのだ。
(本当におわり)


脚注(以下、ネタバレ)
正確には「もう、まともにやるための“大きな物語”なんて、とっくにないもん!やってられるかよ!」だ。その時に「俺は物語を信じてるもんね!ないなら作るもん!」という沖田艦長の妄想が、「信じること」により本当になるという内容をのうのうと描く山崎貴という人は、西崎義展というよりはミヒャエル・エンデやディスニー的感性と思う。だから、この映画とはSFというよりファンタジー映画。
ホラ吹きの旅の顛末という意味では、この映画はヴェルナー・ヘルツォークの「フィッツカラルド」(1988)とか、ポール・セロー原作の「モスキート・コースト」(1986)の再映画化に近いように思える。
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故・川本喜八郎さんにお詫びしたい

アニメーション作家、人形作家の川本喜八郎先生も亡くなったとのこと!

高校時代の僕にとって、「道成寺」(1976)はバイブルのような映画だった。
NHKで放送されたものを録画して、何度も何度も何度も観た。
それどころか「火宅」(1979)と、宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)と「死の翼アルバトロス」(1980)と「さらば愛しきルパンよ」(1980)と、自分たちが作った実験アニメを抱き合わせ、学校祭で料金300円を徴収する興行まで敢行した(!)。
もう、メチャクチャである。

高校生のころの僕は、1979年こそ「機動戦士ガンダム」と「カリオストロの城」、「赤毛のアン」に費やされたが、その他は寝ても覚めてもSFと人形アニメーションの日々であった。
可哀想なのは(またしても)滝沢聖峰だ。完成しないSF映画や人形アニメのためのメカデザインや模型を山ほど作らされたのであった。(知られていないが、彼は非常に優秀で創造的なモデラーでもある。模型雑誌に執筆しながら作例に手を出さないのは、この時のトラウマだと考えられる。)

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1980年には「12人の作家によるアニメーションフィルムの作り方」(主婦と生活社)という名著が出版された。
執筆者は手塚治虫、古川タク、鈴木伸一、福島治、林静一、島村達雄、川本喜八郎、岡本忠成、亀井武彦、中島興、田名網敬一、相原信洋と、超豪華。アートアニメーションを志す人なら必ず持っていなくてはならない名著なのである。
本がバラバラになるまで読んだ。特に、林静一さん、島村達雄さん、川本喜八郎先生、相原信洋先生の章は熱心に読んだ。福島治さんの素晴らしい作画は、今も大学院の授業で使っている。
(卒業生、学生の皆さん、僕が相原信洋先生とチェコに行って感激したり、田名網先生と飲んで興奮する理由が判りましたか!)

レイ・ハリーハウゼンのように、フォームラテックス(人形アニメのパペットの筋肉や、特殊メイクのアプライエンスに使われる一種のスポンジ。泡立てて、石膏型に封入して、オーブンで焼く)製のパペットを作ってみたかったけれど、地方の高校生には夢のまた夢。
ところが件の本では、川本先生がフォームラテックス(フォームラバー)のシートについて紹介されていた。そうなると、もうこれが欲しくてたまらない!しかし、どこに売っているのかわからない!

チャンスが訪れたのは、修学旅行の時。
すでに京都での段階で、僕や滝沢聖峰は早々に歴史見学から抜け出して、噂に聞いたSF喫茶「ソラリス」で感激し、太秦の映画村で「恐竜・怪鳥の伝説」(1977)の恐竜のプロップにガッカリし、「スターログ・ショップ」を目指して梅田まで遠征したもの迷って見つけられず…と、何を修学してるのかわからない状態ではあった。
が、本当のクライマックスは東京でやってきた!
なんと電話帳で川本先生の電話番号を調べ、公衆電話からいきなりかけた(!)のであった。礼儀や世界線を知らないということは、恐ろしい。
自ら受話器を取られ、いきなり材料店について問われた御大は、ややムッとした感じであったが、北海道から出てきた高校生であり、あと数時間のうちに東京を発たねばならないことを説明すると、実にていねいに入手場所を教えて下さった。

人形橋だったか両国だったかの「佐々木ゴム製作所」とかいう会社に飛んでいった。会社というよりは、家内制手工業という感じの問屋か工場(こうば)だった。
そこにいきなり高校生が飛び込んできて、「フォ、フォ、フォ、フォームラバーを売ってください」などと、バルタン星人みたいなことを言うのだから、皆さんあっけにとられたようだった。
クッションや工業用品用のゴムを扱っている会社らしく、フォームラバーも厚さや大きさなどいろいろな規格がある。
やっと5mm厚くらいのいちばん小さなシートを選んで、丸めて、模造紙に包んでもらった。その柔らかさと、嬉しさは一生忘れないと思う。
「どこでうちの会社のことを知ったのですか」と、経理のお婆さんに問われたので、「人形作家の川本喜八郎先生から教えていただいたのです」と誇らしく答えると、納得したようだった。
そういう人が多かったのかもしれない。

思い出せば思い出すほど、恥ずかしい高校生時代だ。
しかし、なにが恥ずかしいといって、結局、アニメーション作家にならなかったことだ。
この、あらゆる無礼を、今は亡き川本喜八郎先生に心からお詫びしたいと思います。
合掌。
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金田伊巧のレイアウト

遅ればせ、ようやく札幌芸術の森美術館の「スタジオジブリ・レイアウト展」を見ることが出来た。
入魂の会場設計だ。

展示作品では、一にも二にも「風の谷のナウシカ」(1984)の、故・金田伊巧さんと思われるレイアウトに圧倒される。(図録の図版40)
いや、レイアウトというより「画」だな。
静止した一枚画で、動画ですらないのに、線、パースの全てが動きを表現している。
ホンモノの「才能」というのはこういうもの…と、ただただ納得させられて、ほかのレイアウトはどうでも良くなってしまった。
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フハッ!

mizukishigeru01

大学は夏休みに入っているはずだが、免許更新講習とか集中講義とか将来計画の会議とか、いつもより忙しい。帰宅後も週末も書類書きで、合間に原稿。

忙しいときの現実逃避は、もっと忙しい人の本読むに限る…ということで、水木しげる先生の自伝的作品などを再読。
分隊全員戦死のソーゼツなラバウルでの戦争体験はもちろん、出口がないのに描き続ける貸本作家時代に、「フハッ!」となる。

ヤング(死語)の間で話題らしいニコ動の「芸術実践論」もチラ見。
現役の芸大生らしき若者が、「アートの世界に進みたいと思っている若者の、夢を積んでしまうような暗いアート界は良くない」と言っていた。
水木作品の読後感からずっこける。
フハッ!
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伊藤隆介
映像作家/美術作家
ときどき評論執筆

Ryusuke Ito
Filmmaker/Artist
Part-time Critic
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Realistic Virtuality: Ryusuke Ito