「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)」(1977)に登場するマザー・シップの撮影用模型。“ミニチュアの神様”グレゴリー・ジーン作。かつて「スターログ」誌に掲載された中子真治さんの映画ルポルタージュ「SFX-Wizards Scrap-book」は何十回も読んだ。再生紙の、不鮮明な白黒写真も舐めるように眺めたものだ。
すっかり感化されて、「未知との遭遇」や「1941」(1979)に出てくるようなクラッシックな自動販売機やビルボードの模型作りに熱中した。考えてみると、相当ヘンな高校生だが、自分の「美術の見方」の基礎を作ったのは、この連載記事かもしれないと思う。
舞台は1979年だから、カーター政権下のアメリカだ。
くたびれたとはいえ、リベラリズムが残っていた時代だろう。少なくとも、21世紀に「リベラル」が政治的な攻撃材料になるなどとは、想像もしていない時代だ。
この映画で最も印象的な登場人物というのは、トラブルメーカーである、美少女の父親(写真右端のドアーズみたいな髪型の、ロックファンとおぼしき人物)だ。狭い町の中での少年時代からアウトサイダーで、アル中で、妻は逃げ、娘を怒鳴るこの父親は、町の庶民派エスタブリッシュメントである主人公の父親(写真左端)とは対照的に、若者の時の価値を引きずって生きている。やけのやんぱちになっているこのオヤジというのは、60年代からの自由主義の末期的な状況(ジタバタ)を象徴している。(マリファナ中毒のカメラ屋の青年は、形骸化した60年代を象徴している。)
ベトナム戦争後の、アメリカの(良くも悪くもの)楽天主義と理想主義が破綻した閉塞感は、アメリカ映画ではパニック映画ブームを経て、ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」(1977)や、劇中映画でも名前が引用されるジョージ・A・ロメロの「ゾンビ(Dawn of the Dead)」(1978)といった、アナーキーなカルト映画に収斂されていく。混乱する親たち(の世代)を尊敬できない少年たちが、ゾンビ映画制作に傾倒していくというのは、時代の不穏さへの嗅覚であり、極めて正しい。