Realistic Virtuality: Ryusuke Ito
現実的な仮想性: 伊藤隆介/制作の周辺
大人のウルトラ怪獣大図鑑
2012年09月30日
本
仕事
マガジンハウスムック 大人のウルトラ怪獣大図鑑
マガジンハウス刊(111ページ)980円
というムック本の「ウルトラ怪獣偏愛セレクション」という記事に、ちょこっとコメント。「ウルトラQ」から「ウルトラマン80」の中で、好きな怪獣を3つあげろという難問だった。
バルタン星人、エレキング、ツインテールなどの名怪獣は他の方々とカブるだろうなと外す。でも、恐竜戦車、マゼラン星人マヤ、タッコングという辺りも、マニアックな回答者同士でカブりそうなのでパス。
そういうわけで、なかなか苦慮したベスト3に。ドラコ(2代目)をあげた川崎実監督には、さすが!と思った。
それにしても、どうして自分に依頼が来たのかと不思議に思っていたが、誌面を見るとお隣の回答欄は
角孝政館長
。そうか、世の中には「怪獣系マイナーアーティスト」という枠があるのかも…。
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25年ぶり
2012年08月12日
マンガ
本
ここのところ、つげ義春作品をまた読んでいる。
ちくま文庫が入手しやすく、値段も手ごろ。小学館文庫だとさらに安い。読んだ後「こんな芸術作品が、こんなに安価で読めていいのか」と罪悪感さえ湧いてくる。
休日出勤だったので、研究室の本棚にあった1987年の「COMICばく」(日本文芸社)をものすごく久しぶりに手に取る。
当時は林静一さんの傑作PH4.5 グッピーは死なない」に入れ込んで購入したものだが、つげ忠男さん、ユズキカズさんらのレギュラー陣も絶好調。末永史さんの「ボロフスキーの一日」は、1980年代の日本社会における現代美術の受容のなんとも浮ついた空気を、上手くすくい上げた珍しい作品。上野の都美術館で「ボロフスキー展」が開催され、話題を呼んでいたのである。懐かしい。
つげさんの「海へ」も「別離(前・後編)」も素晴らしかった。特に、主人公の少年が伊豆大島での幼年時代の幸せな記憶から、船員になりたいと思い詰める描写が切ない。幸せだった自分がそこにまだ留まり生きているような感覚を、あえて飼いならし延命させて、現実に耐えてきたのだ。人間の感情のプロセスを深く描いている。
が、つげさんの不安神経症が進み、12月号では作品は載らず(インタビュー掲載)、雑誌自体もこの号で、突然の休刊(廃刊)に。忘れていたので驚いた。
四半世紀ぶりの不意打ちは、当時よりショックが大きくて、しばらくボーッとしてしまった。
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池部良(2)
2010年12月28日
本
池部良の父は洋画家・風刺画家の池部鈞で、母は岡本一平の妹。だから岡本太郎は従兄弟だというのは初めて知った。
随筆の中には、父の親友・藤田嗣治がパリからものすごく臭い小包(中身はチーズ)を送ってきたというエピソードがある。手紙の皮肉っぽいユーモアから、藤田の性格なども垣間みえて興味深い。
「大変、ご無沙汰。健やかですか。
すばらしいフロマージュ、英語で言うチーズが手に入ったので、少しだが送ります。(中略)フランスの先人画家達は、このフロマージュを嗜(たしな)んで、あのような見事な絵を描きました。
僕は君の、庶民的画材と色とタッチが好きです。君がこれを食べれば、恐らくフランス画壇の先輩達と比類するか、或いは彼等を凌駕し、後世に名を残すと思っている次第。」
(「フロマージュ」より/文春文庫「風の食いもの」収録)
いきなりすごい書き出しだ。
簡潔というか、キザというか。
今の時代、「大変、ご無沙汰。」とか、「健やかですか。」なんて挨拶をするのは、井上陽水くらいだろう。
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池部良(1)
2010年12月27日
本
池部良の随筆について、保坂和志さんが紹介した文章があまりに面白かったので、数日前から池部作品を読み始めたが、これがもう素晴らしい。
ただただ、馬鹿みたいにゲラゲラ声を出して笑って読んでいる。今までこの面白さを知らなくて口惜しい。
以下は「白夫人の妖恋」(1956)の撮影中、田中友幸プロデューサーに、時代考証をする「マーさん」なる中国の人を紹介されたくだり。
田中さんの後ろに三十歳前後と思える、全てが円く出来ている顔立ち、髪の毛が薄い、運動神経ゼロと見た体格、それでも一メートル七十センチはありそう、目を合わした瞬間、にっと笑った。初対面の男に笑われる覚えがないから、睨(にら)み返してやった。
(中略)言った脇から、「良ちゃん、それ、なにか」と中国男が言う。
見知らぬ中国人から、良ちゃんなんて気易く呼ばれるのは心外だ。
「僕は池部っていうんだ。良ちゃんなんて言わないでくれ」と些(いささ)か語気を強めて言ったら、
「良ちゃん、ノーか。いきびさんか」と言う。
「いきびさんも締まらないな。ま、良ちゃんでいいよ」」
(「麻婆豆腐」より/文春文庫「風の食いもの」収録)
表面的なレトリックではなく、池部の人格から切り離せない文体(漱石の「坊ちゃん」に似ている)は、心の澱を洗い流してくれるような効用がある。
人生への向き合い方というか、生き方ですね。身に付いた「芸術性」とはこういうことだろう。横山やすしの文章がこれに近いかな。
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のらくろひとりぼっち
2010年12月11日
仕事(学校)
本
大学院の講義のため、田河水泡夫人の高見澤潤子さんの「のらくろひとりぼっち/夫・田河水泡と共に歩んで」(光人社/1983)を読む。
不幸な少年時代を送った田河さんの「のらくろ」のペーソス、それを見守る高見澤さんの、クリスチャニティからの解釈が心に残る。(弟子の長谷川町子の一家に影響されて信仰の道に入った。)
もっとも印象的だったのは、高見澤さんの兄である小林秀雄(!)が、田河の「のらくろ」について書いた文章。
「天賦(著者注−天よりうけたもの、人間の力ではどうにもならないもの)という言葉は、現代では、馬鹿々々しい理由から軽んじられているが、長い期間にわたって、世人を動かす、ああいう『主人公』(著者注−のらくろ)達を創り出すのには、普通の意味の才能で、事が足りた筈がない。彼等にしてみれば、才能なぞは、あり余っているに違いない。だが、自分勝手に使用出来る才能などでは承知が出来ないのだろう。本能的な良心に導かれて、自分でもどうにもならぬ天賦のなかで、仕事をするに至るのであろう。めいめいが、自分の天賦のとりことなるのだ。」
この場合の「天」とは神を指すのだろうが、そう読まなくても説得力がある。特に「自分勝手に使用出来る才能などでは承知が出来ない」という部分に迫力がある。
夫・田河水泡を、夫人は以下のように見る。
「童心というのは、何ものにも邪魔をされない、純粋な、一直線に肝心なものをみつけることのできる心である。(中略)打算もなく、策略もなく、テクニックもなく、欲も得もなく、名誉も成功も考えず、一途に、子供が遊びに夢中になるように、一つのことだけに夢中になる、そういう心がT(注・田河水泡)にあったからこそ、またいまももちつづけているからこそ、長い間、『のらくろ』を描きつづけられたのであろう。」
前後して、大友克洋の「夢の蒼穹」(1977)を偶然に、久々に、久々に再読。大友、23歳の作品。
天賦とは、具体的にはこういうものかと納得する。
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ワイドショーのレポーター
2010年11月20日
本
筑摩書房のPR誌で、小説家の保坂和志さんのエッセイを読む。
「佐野洋子の絵本『100万回生きたねこ』を読んで「社会に背を向けている」と感じる人がいるだろうか! 社会とまったく接点を持たない作品の中でも『100万回生きたねこ』はとびきりの強度を持ち、つまりこの作品は自立している、というか自律性が圧倒的に高い。こういう作品に比べて私の小説はどこかに社会への未練があるために、そこを突いて「社会に背を向けている」と批判するんだったら、これはすごい。私はすいませんと言うしかない。
たとえばいじめが話題になればいじめを題材にしたり、ひきこもりが話題になればひきこもりを題材にしたり、百歳以上の所在不明老人が話題になればそれを早速題材にしたり……あ、これはまだ書かれていなかった。とにかくこういう創作態度が社会と向き合っていると言えるだろうか。それらが向いているのは社会でなく、ニュースあるいは記事だ。社会で話題になっているネタを題材にして読者の支持を取りつけよう、つまり社会の支持を取りつけようなんて根性は、社会の中にいるだけで向いてもいないし背を向けてもいない。ワイドショーのレポーターが、大麻所持でつかまったり、浮気が発覚したりした芸能人にマイクを向けるのと同次元のことではないか。」
これは、美術にも当てはまると思う。エコとか、地域再生とか、アニメ画とか。多くの場合、本人たちは「いいことをしている」、あるいは「新しいことをしている」と信じているから、気の毒で指摘できない。
アンディ・ウォーホルは、(今で言えば)ワイドショーのレポーターと同じような対象を好んで取り上げたが、話題そのものではなく、「ワイドショーのレポーターに取り上げられる人(事物)」という現象、あるいは視線そのものをテーマとして描いた。そこら辺が、「美術」の表現になっている所以である。
↓保坂和志さんのホームページ(「ちくま」に連載のエッセイが読めます)
http://www.k-hosaka.com/
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「業界残酷ドラマ 」ということではない
2010年08月21日
本
マンガ
ネットのニュースで気になっていた、イエス小池さんの「業界残酷ドラマ マンガ家アシスタント」をようやく入手。ブログを書籍化したものの再版(廉価版)のようだ。
小池さんという方は、ジョージ秋山さんのアシスタント歴32年のマンガ家。
書名から連想する「アシスタントの人生の(待遇の)悲惨を描く」というような内容ではない。
なぜ我々は「一流の人」になれないのかを、小池さん自身の経験から説いた芸術家訓と言っていい。人生に裏付けられた洞察と反省にはたいへんリアリティがある。
その内容は、あまりに率直。ホントの「よくある話」すぎて、誰も書かなかったことだ。美術であっても、映像であっても共通の、身につまされる内容だ。
たとえば、以下のページの「漫画」という言葉を、何か別の分野に入れかえても、意味はかなり通じる。というか、まるで今日の芸術系大学や、Twitter上で見る(芸術家志願者の)業界談義ともピタリと重なる。
http://blog.goo.ne.jp/yes-de/e/696efac024af83c3ed13970b80d96454
学部の1年生の「アカデミック・スキル」とか、進路相談とは、これを読ませるだけでもいいんじゃないの?という気までしてくる。
あまりに教育的なので、その日のうちにファミリーマート(ローソンやサンクスには置かれてないようだ)をまわり、研究室常備用、貸出し用とさらに2冊も購入してしまった。(ちょっとやりすぎか。)
↓exiteニュース
「残酷まんが道! 苦節32年54歳マンガ家アシスタントの血の教訓、復刊!」
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20100816/E1281891442481.html
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ジョン・カーペンターの自伝
2010年08月14日
本
映像
遅ればせ、「恐怖の詩学 ジョン・カーペンター」(フィルムアート社)をつまみ読み。
SF映画ファンで同人誌などを作っていた少年時代、大学時代に出会ったダン・オバノンとの友情と訣別など、初めて知るディティールも多かった。
作家としての手応えと、興行(と、それに引っぱられる批評、評価)の間で揺れる心理についても、赤裸々に答えている。
特に「遊星からの物体X」(1982)は興行的には振るわず、キャリア的・心理的な痛手を長く抱えることになったという。この作品と「ゴーストハンターズ」(1986)は、彼のフィルモグラフィーはもちろん、アメリカ映画としても重要な作品だと思っていたので驚いた。
「物体X」の直前に公開され、空前のヒットになったのがスピルバーグの「E.T.」(1982)だ。レーガン、ブッシュ(パパ)が、「強いアメリカ」や「家族の価値」などのスローガンで、アメリカの再生(保守化)を掲げていた時代だから、離婚家庭に訪れるディズニー的ファンタジーの、センチメンタリズムと懐古趣味はぴったりとマッチした。
そんな時代に、「物体X」とか「ゴーストハンターズ」とか、「アメリカ人という価値」の解体を、これでもか…と描写しているんだから、(今振り返ってみれば)当たるはずがない。
さらなる解体者たち、スパイク・リーがデビューするのは3年後、フランク・ミラーは現代の「バットマン」映画の祖にあたるマンガ「The Dark Knight Returns」(1986)を描くのは4年後だ。
大物ぶろうという虚飾を感じさせないインタビューだった。
アメリカ人の「率直さ」という良い部分が出ている本だと思う。
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列車の到着(2)
2010年07月16日
映像
本
おおっ、これは!
写真の機関車は1881年製、この写真が撮影された1970年にもまだまだ現役だったようだ。
この有名な機関車が撮影されたのは、1895年ころ。
ここからまだ70年も活躍できるのか。
映画といい、銀塩写真といい、19世紀のテクノロジーは頑強というか、長持ちだと感心する。
Yves Broncard著「Last Steam Locomotive of France」
(Lan Allan社/1977年刊)
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00:12
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列車の到着(1)
2010年07月15日
映像
本
釧路駅北口前の商店街はゴーストタウンとなり、なじみの古本屋も閉店。
釧路校の佐々木宰先生に、北大通の古本屋・豊文堂(映画や芸術書の品揃えがよい旨)に連れて行ってもらったが、定休日。
で、仕方なくその本店(こちらはずっと小さい)に行った。
昔ながらの古本屋さんで、いい雰囲気だ。(本の山でレジが見えない、どこからどこまでが売り物かわからない、など。)
で、ショーウィンドウに、いきなり、こんな本が立て掛けてあった。
これは珍しい。(…と思う。鉄道に興味が無いので定かではないが、少なくとも札幌の大型書店には、ヨーロッパの鉄道の書籍はほとんど無い。)
ここ何年か、ちょくちょく調べてたものの、判らなかった謎が解けそうな気配が…。
汽車の出発近くまで悩みに悩んだ上、これも何かの巡り合わせ…と購入。
駅まで走って、特急スーパーおおぞらに飛び乗った。
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不在者投票に行く
2010年07月04日
美術
本
来週末は釧路キャンパスで集中講義なので、不在者投票に行く。
区役所(区民センター)はクーラーが効いていたので、図書室でちょっと涼む。
「本郷新 彫刻集」(亡くなった翌年に出版されたもの。求龍堂刊・定価50,000円!)を閲覧。
序文は佐藤忠良御大。舟越保武さんの対談などで何度も読んだエピソードばかりだが、彼らが生きた時代の格調と、芸術への素朴な感動、理想が伝わってくる。
昭和30年だけで、本郷新(50歳)は16作品も制作しているので感心する。新制作などに出品した大作や、屋外彫刻などが中心。図版や資料が残っているのがこれだけで、小品やマケットなど実際はもっと多く作っていたんだろう。
60歳くらいになればちょっとペースが落ちてるだろうと思ったら、年間15作品も作っていた。
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ウソをつくのは難しい(4)
2009年08月20日
美術
本
絵本の世界でも、鮫の体内の描写は「ディズニー型」が多かった。
あるいは描くのはピノキオと父親に絞って、周囲の環境についてはオミットするという手も結構あったのは、絵画ならではだ。ミニマムなウソと言えようか。
感心したのは、西村書店から出版されている「ピノキオの冒険」(1992/金原瑞人訳)。
ロベルト・インノチェンティという人による挿絵は、舞台となるイタリア19世紀後半の考証も緻密だ。
鮫の体内も背骨はなく、内臓の雰囲気を全面に押し出している。とはいえ、この「雰囲気」を出すために、別の演出が採用されている。単なる粘膜の壁では臨場感が足りないと思ったのか、人間の大腸を思わせるジャバラのような構造(ハウストラ)が描かれていて、効果的だ。
まあ、腸まで深部に引き込まれたら、ピノキオも口までは戻って来れないと思うけど。
↓「ピノキオの冒険」(西村書店)
http://www.nishimurashoten.co.jp/pub/details/305_851.html
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伊藤隆介
映像作家/美術作家
ときどき評論執筆
Ryusuke Ito
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