Realistic Virtuality: Ryusuke Ito
現実的な仮想性: 伊藤隆介/制作の周辺
今敏と、その時代(6)/書評:OPUS
2011年01月15日
仕事
今敏とその時代
北海道新聞夕刊(2011/1/7付)
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今敏と、その時代(5)
2010年10月14日
マンガ
今敏とその時代
北海道新聞夕刊(2010/9/3付)
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今敏と、その時代(4)
2010年09月03日
マンガ
今敏とその時代
今敏は「−虜−とりこ」で1984年(第10回)の「ちばてつや賞」(講談社)の優秀新人賞、1987年(第13回)にも「ばか騒ぎ」で再度、優秀新人賞を受賞している。
前々項で、講談社に投稿したことに「驚いた」と書いたことを説明する。講談社、小学館のフラッグシップ誌「少年マガジン」と「少年サンデー」の連載作品を比較してみるとすぐ判る。
1982年ころの少年マガジン(講談社)のラインナップを並べてみた。
「翔んだカップル」のヒットの余波で、ラブコメが多い。あとはスポーツ、学ランものですね。全体的に「マンガ」っぽい絵柄で、あか抜けない。
そして、アニメ系の画はない。三浦みつるの「The・かぼちゃワイン」(下段左から2つめ)だけが、手塚プロ出身だけあって、線が細くてアニメ的。
一方、1982年ころの少年サンデー(小学館)の連載作品。
グッと劇画調の画が多いが、こちらもラブコメ全盛。
「うる星やつら」と古谷三敏の「ダメおやじ」が共存しているところがすごいが、前年までは楳図かずおの「まことちゃん」も連載されていた。異色なのは、梶原一騎・原作、原田久仁信・画の「プロレススーパースター列伝」という実録作品。梶原らしい虚実入り交じった内容だが、プロレスブームと、インテリがプロレスを語る当時の風潮が後押しになった。(1983年に梶原一騎の逮捕で連載終了。)
スポーツと学園ものの体裁をとっていれば何でも許容されるのか、高橋留美子や細野不二彦、岡崎つぐおがSFテイストの作品を描いている。(ちなみに、岡崎つぐおは今敏と資質が似た作家だと思う。)
さらに、松本零士門下で「少年ビッグコミック」に一種の戦記SF「エリア88」を連載していた新谷かおるも、「ふたり鷹」というバイクマンガの連載も持っている。サンデーは格段にSF濃度が高く、(島本和彦氏言うところの)ゆるさと、マニアックなものを許してくれそうな雰囲気があったのだ。
マガジンの女性キャラの大ざっぱさ(とほほ…)と違い、「美少女」というコンセプトも見えている。細野、岡崎、本宮ひろ志のアシスタントだった金子たつお等、画の上手い作家を配している。プラス、高橋留美子である。
だから、当初、美少女SFパロディを描いていた今敏が投稿するとしたら、それはほとんど自動的にサンデーを意味するのである。
なぜ、ちばてつや賞(講談社)かといえば、その対象となる「ヤングマガジン」に、1982年から大友克洋が「アキラ」の連載を開始していたことが大きいと思う。
(つづく)
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cityeast
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今敏と、その時代(3)
2010年08月30日
マンガ
今敏とその時代
北海道新聞の文化部(映画)の今敏の追悼記事、入稿。
先方は僕と今くんが知り合いだったことは(もちろん)知らず、業務上の原稿依頼があった。
ブログはごく個人的なモチベーションで綴っているが、地方紙とはいえこちらは「公式」な追悼ということになる。
30年前、自分がマンガの評論をするとは思っていなかったし、まさか今くんの追悼文を書くことになろうとは思ってもみなかった。
彼だって想像だにしなかっただろうが、結果的に僕は、なんとも不吉な知り合いだった…ということになるのか。
人の出会いの意味というのは、本当にわからない。
(つづく)
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cityeast
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今敏と、その時代(2)
2010年08月29日
マンガ
今敏とその時代
今敏の、件のSFマンガは、たしか小学館のマンガ賞に応募して、次点になった。
編集部から記事などのカットを描くアルバイトをもらい、小さなカット1点が3000円とか5000円とか話していた。こちらも子どもだから「大したものだ」と思った。バイトの時給が450円くらいだった時代の話である。
大学受験の結果の方は、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン科という当時の花形の専攻に入学。一浪で当り前の専攻だから、優秀だったのだと思う。
ちなみに、滝沢聖峰や僕は見事、浪人となり、新宿御苑付近の美術予備校に通うことになった。そしてデッサンよりも平面構成よりも(なぜか)同人誌活動にのめり込んで、さらにもう一浪することになる(そりゃそーだ)。
今考えてみると、講師は芸大生の田中紀之(タナカノリユキ)さんだったり、学生にも片塰満則、横森理香、箭内道彦なんてのがいた。総じて面白かった…ということになるのだろう。
余談だが、そのタナカさんの映像初作品は、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」(1983)のプロップの絵本だ。予備校の友人に前田青(前田青邨、ではない)というSF・特撮マニアがいて、彼は大林千茱萸さんの明星学園の同級生だったので、そのツテで描かされたというわけ。大林監督を尊敬していた当時の僕としては「すごいですね」と思ったが、「自分の作品じゃないからつまらない」とまっとうな答えのタナカ氏であった。
そのころの新宿は、今とは違う意味でオタクっぽい街だったので、今敏もちょくちょく出てきて会っていたのだと思う。
3丁目の末広亭の近くの喫茶店でずいぶん粘ってとりとめもなく話をしたり、マンガのネームだったか下書きみたいなものの感想を求められたりした記憶がある。あまりに粘るので、喫茶店で(「帰れ」というサインの)昆布茶が出て、その後さらに路上で座って話していた。
当時の秋葉原はただの電気街で、サブカルなら新宿だった。
もともと映画館が多いし、紀伊國屋書店ではマンガの原画展(特に青林堂)が何度も開かれ、西武新宿駅には書原のマンガ専門店があり、御苑の近くにはラポートのアニメック、国際プロレスの本部があった羅府会館(ラシントンパレス)の2階には、ふゅーじょんぷろだくとがフリースペース(同人誌即売所)を営業していた。後には、白夜書房が南口の高架下にまんがの森をオープンした。
また、新宿や渋谷には「ビデオ喫茶」というものも多かった。これは未公開の映画(主にSFやホラー)のビデオを個人輸入して(字幕無しだが)見せる商売。今のように貸ビデオ店はなく、傑作「ドラゴンスレイヤー」(1981)、ジョージ・A・ロメロの「クリープショー」(1982)、クローネンバーグの「ビデオドローム」(1982)などは未公開だったので、そういうところで見た。
荒木飛呂彦さんの初期作品「バオー来訪者」に登場するモンスター「マーチン」は、「クリープショー」の第4話「開封厳禁」のオマージュだったりしたため、荒木さんはホラー映画ファンの信頼が非常に厚かった。
その時代のオタク情報源は、雑誌「スターログ日本版」。ラフォーレミュージアムのディレクターや、講談社の手塚治虫全集でも知られるアート・ディレクターの鶴本正三さんが刊行していた。(ちなみに、鶴本正三さんは、現代美術作家の太郎千恵蔵さんのお父さん。)
「国際SFアート大賞」なども主催しており、これは雨宮慶太さん、永野護さんなど、現在のプロが多く応募していた。若者たちは毎月この雑誌を読みながら、SF映画をオクラにする配給会社を呪い、新作ホラー映画見たさにジリジリしていたわけである。(ダークな青春だ、まったく。)
また、海外のSFの画集を手に入れるため、紀伊國屋や銀座のイエナにも通った。シド・ミードの「SENTINEL」など、ドラゴンズ・ドリーム社の画集は人気が高いため、買うのも一期一会だった。
つまり、SFやホラー映画ファンであるということは、趣味以上に、教養的な努力が必要だったのである。今敏が私淑する黒澤明の映画なども、特集上映などを除いてはなかなか見る機会はなかった。
そういう意味では、今より格段に情報的に貧しい時代であり、一次情報には自分でにじり寄っていくしかなかった。
やがて、今敏は1984年に「ちばてつや賞」を受賞して、「ヤングマガジン」で前途洋々の若手マンガ家としてのスタートを切る。
が、ちばてつや賞(講談社)と聞いたときは驚いた。島本和彦さんの「アオイホノオ」や、「山田のこと」の巻末インタビューで上條淳士さんも述べている通り、当時の「少年サンデー」は、他誌と比べてマニアックなラインナップだし、今敏がそこでデビューするということは自然なことのように思われたからだ。
まぁいろいろ思うところあってだろうが、やはり「ヤングマガジン」大友克洋さんが「AKIRA」を連載していたことが大きいと思う。
つまり、勉強家・今敏は自分でにじり寄っていったのだと思う。
(つづく)
※今敏の仕事について記述するには、その時代背景についても書かねばならず、(ワタクシの常として)脱線も多いと予想されるので、タイトルを変更しました。
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今敏と、その時代(1)
2010年08月26日
マンガ
今敏とその時代
火曜日の夜、マンガ家・滝沢聖峰から電話があり、今敏の訃報にただ驚く。
メディアでは「アニメーション映画監督」と記されていたが、僕にとっての今敏は、やはり今でもマンガ家だ。
今敏と滝沢聖峰は中学生時代からの親友(ライバル?)で、紹介されたのは高校生のときだったと思う。
たしか、投稿する予定のマンガ作品を見せてもらったのではなかったか。舌をまくような、達者な画だった。
高千穂遙の小説「ダーティペアの大冒険」のパロディ風の、様々なアニメやSFが換骨奪胎されたマニア向けの作品だった。さすがに「あによぉ」というネームはどうか…と指摘したら、照れくさそうに、嬉しそうに笑った。
「ダーティペア」のアニメ化どころか、小説が刊行されたかどうかの時期だから、1980年だったのだろう。
思い出深いのは、大学受験で上京した時に雀卓を囲んだこと。高名なギタリストである兄上の、都心なのに草深い一軒家で、本物のアフガン・ハウンドを生まれて初めて見た。しかも2匹。
雀卓での話題は、ただただマンガの話だった。
その月のアニメージュの表3に掲載された、「風の谷のナウシカ」というマンガの小さな予告カット(本篇とはちょっと違う、北欧チックなもの)について、あの宮崎さんが描くマンガなんだから、これはもう傑作に間違いないよな…などと意気投合して興奮したのだった。
実際に連載がはじまったら、ブライアン・オールディスのパクリみたいな作品でちょっと呆れたが、傑作だった。まぁ、宮崎駿という人はコラージュ作家でもあるから、驚くことではないのだが。
ただ、その時は誰も、その宮崎駿といちばん共通の才能を持っているのが今敏だとは(本人も)気づいていなかった。
雀卓を囲んだもう一人は学生服を着た青年で、森井綾という。今敏の釧路湖陵高校の同級生で、今(兄)宅に寄宿していた。麻雀の結果は-79で、森井の一人負けだった。
森井は今、北翔大学でメディアデザインの教員になっている。思えば、長い付き合いになった。
作家としての今敏にきちんと書いておこうと思ったら、単なる思い出話になってしまった。
(つづく)
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cityeast
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